色の見え方が教えてくれる、世界の認識の不思議
私たちは子どもの頃から、
「虹は7色」
と教わってきました。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。
あまりにも当たり前なので、
世界中どこでも同じように見えていると思いがちです。
けれど実は、
虹の色の数は文化や言語によって大きく異なります。
そしてその違いは、
単なる言葉の違いではなく、
人間は世界をどのように認識しているのか
という深いテーマにつながっています。
ニュートンが決めた「7色」

そもそも虹は本来、
連続した光のスペクトルです。
境界線が引かれているわけではありません。
17世紀、
アイザック・ニュートンはプリズム実験によって光の分解を観察し、
赤
橙
黄
緑
青
藍
紫
の7色に分類しました。
なぜ7色だったのか。
実はニュートンは、
音階の7音との対応を意識していたとも言われています。
つまり、
「自然界がもともと7色に分かれている」
というより、
「人間が7つに区切った」
という側面があるのです。
英語圏では6色とも7色とも言う

英語圏では
Red
Orange
Yellow
Green
Blue
Indigo
Violet
という7色(ROYGBIV)が広く知られています。
しかし近年は
Indigo(藍色)を独立した色として扱わず、
赤
橙
黄
緑
青
紫
の6色として説明することも少なくありません。
つまり英語圏でも、
虹の色数は必ずしも固定されているわけではありません。
色が3つしかない言語
言語学者ベルリンとケイの研究によると、
世界には色を非常に少ないカテゴリーで表現する言語があります。
例えば、
アフリカや南太平洋の一部の言語では、
- 明るい色
- 暗い色
- 赤
という3つの基本カテゴリーで色を表現する例が知られています。
この場合、
虹を見ても私たちのように7色へ細かく分割するのではなく、
「赤系」
「明るい色」
「暗い色」
といった大きなカテゴリーで分類・表現される可能性があります。
色を2つに分ける文化
さらに興味深い例として、
西アフリカのバサ語では、
- ziza
(白・黄・橙・赤を含む明るい暖色群) - hui
(黒・青・緑・紫を含む暗い寒色群)
という大きく2つの色カテゴリーが存在します。
私たちが別々の色名で呼ぶ赤と黄色が同じカテゴリーに入り、
青と緑も同じカテゴリーに入ることになります。
つまり、
「色は自然に存在する」
だけでなく、
「文化によって整理されている」
とも言えるのです。
沖縄や古代日本ではどうだったのか

古代日本語では、
現在のように色が細かく分かれていませんでした。
特に重要だったのは
- 赤(明るい)
- 白(光)
- 黒(暗い)
- 青(青・緑を含む)
という区分です。
現在でも信号機の緑を
「青信号」と呼ぶ名残があります。
また、古代から近世にかけて、
虹の色数は必ずしも7色とはされておらず、
3色・5色、
江戸期には4色・5色
として説明される例もありました。
沖縄や琉球語の地域でも、昔の色の言葉について研究があります。
そこでは、今の日本語のように色を細かく分けるのではなく、「赤」や「青」といった大きな色のまとまりで捉えていた可能性が指摘されています。
ただし、これは「虹を2色に見ていた」という意味ではありません。
あくまで、色を表す言葉や分け方が、今の私たちとは少し違っていたということです。
フローレス島の虹

インドネシアのフローレス島では、
虹を
「赤い帯の上に、
黄色・緑・青の縞が入ったもの」
として表現する民族文化が報告されています。
私たちが7色として見るものを、
4色程度の大きな帯として認識する例です。
これもまた、
虹が文化によって異なる姿で語られる一例です。
見えている世界は同じなのか?
ここで興味深い問いが生まれます。
虹そのものは、
世界中どこでも同じ光です。
しかし、
7色に見える人もいれば、
6色に見える人もいる。
4色として捉える文化もあり、
2つの大きな色群として認識する文化もある。
つまり私たちは、
「世界を見ている」
と思っていますが、
実際には
文化と言葉を通して世界を解釈している
とも言えるのです。
虹が教えてくれること

虹は空に現れる自然現象ですが、
その色の数は、
私たちの意識や文化の在り方を映し出しています。
7色が正しいわけでも、
2色が間違っているわけでもありません。
同じ光を見ながら、
人はそれぞれの文化と言葉を通して
異なる世界を生きている。
虹は、
「世界には一つの正解だけがあるわけではない」
ということを静かに教えてくれているのかもしれません。
私たちが見ている世界は、実は“そのまま”ではなく、自らの意識を通して知覚された世界である。虹の色の違いは、そのことを象徴的に示しています。
